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こちらからと向こうから [正信偈と現代(その125)]

(4)こちらからと向こうから

 病気平癒や商売繁盛はこちらから願い、求めなければ、向こうからやってくることはありません。病気を治そう、お金を稼ごうと思い、まずもって人事を尽くす。その上で神仏に祈願するのですが、これも「こちらから願い、求める」ことにおいて何も変わりません、「神さま、仏さま、どうぞ病気を治してください、お金を稼がせてください」と祈願するのですから。そして、病気を治そうとして医者にかかろうとしますと、それ相当の代価を払わなければならないように、神仏に病気平癒を祈願するには、それ相応の謝礼をしなければなりません。要するに取り引きです。ギブアンドテイク。これがいわゆる現世利益です。
 それに対して親鸞の言う現生十益は、こちらから求めていないのに、気がついたら向こうから与えられています。
 たとえば冥衆護持。天神地祇に護られるというのですが、これは病気にならないように、あるいは交通事故に遭わないように護られるということではないでしょう。病気になるときは病気になり、事故に遭うときは事故に遭うのであって、これは天神地祇であろうが誰であろうがいかんともしがたいことです。では何が護られるのか。信心が護られるのです。どんな境遇に置かれても、本願を信じるこころが護られる。信心そのものが「求めず知らざるに」(とは親鸞のことばです)与えられるように、その信心が「求めず知らざるに」護られているということです。こうしてどんな境遇にあっても心の平安を失わずに生きていけるということ、これが冥聚護持の益です。
 先ほど、病気が治り、お金がもうかることでも心の平安が得られると言いましたが、この平安は条件付きです。また病気になったりお金がなくなったりしますと、あえなく消えてしまう平安です。ところが信心が護られることによる平安は、病気になったりお金がなくなったりしても消えてしまうことはありません。もちろん病気になったりお金がなくなることは悲しいことですが、その悲しみにこころが折れてしまうことなく、穏やかに生きていく力が与えられるのです。

タグ:親鸞を読む
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