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「信巻を読む(2)」その117 ブログトップ

はじめて伊蘭子より栴檀樹を生ずる [「信巻を読む(2)」その117]

(8)はじめて伊蘭子より栴檀樹を生ずる

釈迦の説法を受けて阿闍世が応答します。

〈世尊、われ世間を見るに、伊蘭子(いらんし、伊蘭の種子、伊蘭は美しい花をつけるが耐え難い悪臭を放つ)より伊蘭樹を生ず、伊蘭より栴檀樹(せんだんじゅ、「栴檀は双葉より芳し」と言われる香木)を生ずるをば見ず。われいまはじめて伊蘭子より栴檀樹を生ずるを見る。伊蘭子はわが身これなり。栴檀樹はすなはちこれわが心、無根の信なり。無根とは、われはじめて如来を恭敬(くぎょう)せんことを知らず、法・僧を信ぜず、これを無根と名づく。世尊、われもし如来世尊に遇(もうあ)はずは、まさに無量阿僧祇劫(気の遠くなるほど長い時間)において、大地獄にありて無量の苦を受くべし。われいま仏を見たてまつる。ここをもつて仏の得たまふところの功徳を見たてまつり、衆生の煩悩悪心を破壊(はえ)せしむ〉と。仏ののたまはく、〈大王、善いかな善いかな、われいまなんぢかならずよく衆生の悪心を破壊することを知れり〉と。〈世尊、もしわれあきらかによく衆生のもろもろの悪心を破壊せば、われつねに阿鼻地獄にありて、無量劫のうちにもろもろの衆生のために苦悩を受けしむとも、もつて苦とせず〉と。その時に、摩伽陀国(まかだこく、マガダ国、阿闍世王の国)の無量の人民(にんみん)、ことごとく阿耨多羅三藐三菩提心(あのくたらさんみゃくさんぼだいしん、この上ない菩提を願う心)をおこしき。かくのごときらの無量の人民、大心を発するをもつてのゆゑに、阿闍世王所有(しょう)の重罪すなはち微薄(みはく)なることを得しむ。王および夫人(ぶにん)、後宮采女(こうきゅうさいにょ、王妃に仕える女官)ことごとくみな同じく阿耨多羅三藐三菩提心をおこしき。その時に、阿闍世王、耆婆に語りていはまく、〈耆婆、われいまいまだ死せずしてすでに天身(浄天身、浄天は聖者のことで、聖者の身ということ)を得たり。命短きを捨てて長命(じょうみょう)を得、無常の身を捨てて常身を得たり。もろもろの衆生をして阿耨多羅三藐三菩提心を発せしむ〉と。乃至

阿闍世が自分に廻心がおこったことを述べる感動的な場面です。


タグ:親鸞を読む
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