SSブログ
『ふりむけば他力』(その45) ブログトップ

ありがたい [『ふりむけば他力』(その45)]

(7)ありがたい

 さて、本願他力は「多生にも値ひがたく」、「億劫にも獲がた」いからこそ、「たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」となります。ここに本願他力に遇えたことはまことに「慶ばしい」ことであると述べられています。とりわけ「遇ひがたくしていま遇ふことをえたり、聞きがたくしてすでに聞くことをえたり」という言い回しには、天に踊り地に躍るほどの慶びがほとばしっています。この「遇ひがたくしていま遇ふことえた」慶びは、おのずから感謝の気持ち、報恩の思いに結びついていきますが、そのことについて思いを廻らせてみましょう。
 われらは感謝の気持ちを表すとき「ありがたい」、「ありがとう」と言いますが、このありふれたことばが意味することを考えてみたいと思います(これについては金子大栄氏から示唆をえました)。
 このことばの面白さは外国語と比べることでよりはっきりします。諸外国語で感謝をあらわすことばは、「わたし」を主語として「あなた」に対して「感謝する」という言い回しになっています。“Thank you”は“I thank you”の主語が略されたもので、「わたしはあなたに感謝します」ということです。それはフランス語の“Merci”でも、スペイン語の“Gracias”でも、ポルトガル語の“Obrigado”でも、イタリア語の“Grazie”でも、ドイツ語の“Danke”でも、中国語の“謝謝”でもみな同じです(カタカナでしか表せませんが、ロシア語の「スパシーボ」、朝鮮語の「カムサハムニダ」も同じことです)。
 このように諸外国語では「わたし」が「あなた」に「感謝する」と表現しますが(実際には「わたし」も「あなた」も省略されます)、わが日本語では「わたし」も「あなた」も「感謝する」もなく、ただ「ありがたい」、すなわち何ごとかが「あること難し」あるいは「あることが希有である」という表現になります。この日本語特有の表現には仏教的な感性が滲み出ていると言えます。わが身に起ったこと(どなたかが親切なことをしてくださったこと)を「あること難し」と見るところに、これまで見てきました「ご縁」の思想が顔を覗かせています。「ああ、何とあり難いご縁にめぐりあえたことか」と慶んでいるのです。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学問
『ふりむけば他力』(その45) ブログトップ