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第13章本文(抄) [『歎異抄』を聞く(その101)]

       第10回―ひとを千人ころしてんや(第13章)

(1)第13章本文(抄)

 故聖人のおほせには、卯毛(うもう)羊毛のさきにゐるちりばかりもつくるつみの、宿業にあらずといふことなしとしるべしとさふらひき。またあるとき、唯円房はわがいふことをば信ずるかとおほせのさふらひしあひだ、さんさふらふとまうしさふらひしかば、さらばいはんこと、たがふまじきかと、かさねておほせのさふらひしあひだ、つつしんで領状(りょうじょう)まうしてさふらひしかば、たとへばひとを千人ころしてんや、しからば往生は一定すべしとおほせさふらひしとき、おほせにはさふらへども、一人もこの身の器量にては、ころしつべしともおぼへずさふらふと、まうしてさふらひしかば、さてはいかに親鸞がいふことを、たがふまじきとはいふぞと。これにてしるべし、なにごとも、こころにまかせたることならば、往生のために千人ころせといはんに、すなはちころすべし。しかれども一人にてもかなひぬべき業縁なきによりて害せざるなり。わがこころのよくてころさぬにはあらず。また害せじとおもふとも、百人千人をころすこともあるべしと、おほせのさふらひしは、われらがこころのよきをばよしとおもひ、あしきことをばあしとおもひて願の不思議にてたすけたまふといふことを、しらざることをおほせのさふらひしなり。

 (現代語訳) 故聖人は「ウサギの毛や羊の毛の先の塵ほどの罪も、宿業によらないことはないと知るべきだ」と言われたことでした。またある時、「あなた(唯円房)は私の言うことを信じますか」と言われますので、「もちろんです」と申しましたら、「では、私の言うことに従いますか」と重ねて言われます。「謹んで承知いたしました」と答えましたら、「では、人を千人殺してみなさい、そうすれば必ず往生できます」と言われますので、「仰せではありますが、私の器量では一人も殺せるとは思えません」と答えました。すると「ではどうして私の言うことに従うなどと言ったのですか。これで分かるでしょう、何事も心のままにできるならば、往生のために千人殺せと言われたら、殺すこともあるでしょう。しかし、一人でも殺せる業縁がないから殺さないのです。自分の心がよいから殺さないのではありません。また逆に、殺すまいと思っても、百人千人殺してしまうこともあるのです」とおっしゃいました。これは、われわれは心がよいことがよいと思い、心が悪いことを悪いと思って、本願不思議によりたすけられていることを知らないのだ、ということを言われているのです。

タグ:親鸞を読む
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