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第11回、本文1 [「『証巻』を読む」その104]

第11回 五念門と五功徳門

(1)  第11回、本文1

次は願事成就(がんじじょうじゅ)の章です。菩薩が障菩提心を遠離し、順菩提心をもって、その願事を成就することが説かれます。

願事成就とは、〈かくのごとき菩薩は智慧心・方便心・無障心(無障菩提心のこと)・勝真心(妙楽勝真心)をもつて、よく清浄仏国土に生ぜしめたまへり(普通は「生ず」と読む)と、知るべし〉(浄土論)とのたまへり。〈(おう)()(知るべし)〉とは、いはく、この四種の清浄の功徳、よくかの清浄仏国土に生ずることを得しむ(これも普通は「()」)、これ他縁をして生ずるにはあらず(他の功徳によるのではない)と知るべしとなり。

〈これを菩薩摩訶(ぼさつまか)(さつ)、五種の法門(五念門)に随順して、所作(こころ)に随ひて自在に成就したまへり(これも「成就す」、以下も同じ)と名づく。(さき)の所説のごとき身業・口業・意業・智業・方便智業、法門に随順せるがゆゑに(浄土論)とのたまへり。〈随意自在(意に随ひて自在に)〉とは、いふこころは、この五種の功徳力、よく清浄仏土に生ぜしめて(普通は「生ずれば」)、出没(しゅつもつ)自在なるなり。〈身業〉とは礼拝なり。〈口業〉とは讃嘆なり。〈意業〉とは作願なり。〈智業〉とは観察なり。〈方便智業〉とは回向なり。この五種の業念門和合せり、すなはちこれ往生浄土の法門に随順して、自在の業成就したまへりとのたまへりと。

ここでもまた普通の読みと親鸞独自の読みのコントラストが目立ちます。普通の読みでは、したがって天親・曇鸞の思惑としては、われら願生の行者が五念門を成就して清浄仏国土に往生するという意味になりますが、親鸞としては法蔵菩薩の願事が成就して、衆生を清浄仏国に往生させ、さらには還相のはたらきもできるようにさせると読むことになります。われらの願事が成就すると読むか、それとも法蔵菩薩の願事が成就すると読むかでは天地の差があるように思えます。前者ではあくまでもわれらが主体となってものごとをはからうのに対して、後者では法蔵菩薩のはたらきですべてが進められ、われらはその恩恵をこうむるだけですから。


タグ:親鸞を読む
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