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嘘つき [『歎異抄』ふたたび(その36)]

(3)嘘つき

 もっと具体的に「あなたは嘘つきですか」と問われたらどうでしょう(これもかなり限られた状況でしか出てこない問いですが)。
 「ときにはその場の雰囲気で嘘をついてしまうこともありますが、嘘つきとまでは言えないと思います」というのが普通の答えでしょう。もし「わたしは正真正銘の嘘つきです」という答えがなされたとしますと、そこには厄介な問題が顔をあらわします。「わたしは正真正銘の嘘つきです」という答えが正しいならば、この言明も嘘ということですから、その人は正直者ということになり、何が何やらわけが分からなくなるからです(これを「嘘つきのパラドクス」と言います)。「わたしは嘘つきです」と答えることはもちろんあります。しかし、その場合、言外に少なくともこの言明は嘘ではありませんと言っているに違いありません。つまり「わたしは嘘つきです」という答えには上げ底がしてあって、そんなふうに言えるほどには正直です、とほのめかしているのです。
 このように、われらはたいがい自分を「さほど善くはないが、さほど悪くもない、まあほどほどの善人だ」と思っているのではないでしょうか。なかなか思うようには自力作善できないが、でも自力作善しなければならないとは思っていると。みなほどほどに「自力作善のひと」であるということです。としますと、世のなかに悪人(自力作善しようにも、とてもできないと無力を感じている人)はいないのでしょうか。もしそうだとしましたら、みな「本願他力の意趣にそむく」ばかりで、誰ひとり「他力をたのみたてまつ」り、「真実報土の往生をとぐる」ことはないということになります。
 先に「あなたは善人ですか、悪人ですか」と問われたとしたら、「わたしは正真正銘の悪人です」と答える人はまずいないと言いました。「わたしは確かに悪人です」と答えることはあっても、そのように答えることができるほどには善人だと底上げして考えているとも言いました。さてしかし、そんなふうに自分はほどほどの善人だろうと思っているとき、どこかから「ほんとうにそうか」という声が聞こえることがあります、「おまえはほんとうに正真正銘の悪人でないと言えるか」と。この声にハッとさせられ、そしてうなだれざるをえなくなります。

タグ:親鸞を読む
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