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『教行信証』精読(その148) ブログトップ

本文5 [『教行信証』精読(その148)]

(12)本文5

 本文4のあと『往生礼讃』の最後として次の文がきます。

 またいはく、「問うていはく、阿弥陀仏を称念し礼観して、現世にいかなる功徳利益があるやと。答へていはく、もし阿弥陀仏を称すること一声するに、すなはちよく八十億劫の生死の重罪を除滅す。礼念以下(いげ)もまたかくのごとし。『十往生経』にいはく、もし衆生ありて、阿弥陀仏を念じて往生を願ずれば、かの仏すなはち二十五の菩薩を遣はして、行者を擁護して、もしは行もしは坐、もしは住もしは臥、もしは昼もしは夜、一切時・一切処に、悪鬼・悪神をしてその便りを得しめざるなりと。また『観経』にいふがごとし。もし阿弥陀仏を称し礼念してかの国に往生せんと願へば、かの仏すなはち無数(むしゅ)の化仏、無数の化観音・勢至菩薩を遣はして、行者を護念したまふ。また前の二十五菩薩等と百重千重行者を囲繞(いにょう)して、行住坐臥、一切時処、もしは昼もしは夜を問はず、つねに行者を離れたまはずと。いますでにこの勝益まします。憑(たの)むべし。願はくはもろもろの行者、おのおの至心を須(もち)ゐて往くことを求めよ。また『無量寿経』にいふがごとし。もしわれ成仏せんに、十方の衆生、わが名号を称せん。下十声に至るまで、もし生れずは正覚をとらじと。かの仏いま現にましまして成仏したまへり。まさに知るべし、本誓重願虚しからず、衆生称念すればかならず往生を得と。

 (現代語訳) また『往生礼讃』の後序にこうあります。お尋ねします、阿弥陀仏の名号を称えたり、礼拝・観察することで、この世でどんな利益があるのでしょうか。お答えします、阿弥陀仏の名号を一度称えることで、八十億劫にもわたって重ねてきた罪が滅除されます。礼拝・憶念も同様です。十往生経には、衆生が阿弥陀仏を称念して往生を願えば、仏は二十五菩薩をつかわし、行住坐臥を問わず、昼夜を問わず、一切のとき、ところにおいて、悪鬼や悪神から行者を護ってくれると説いてあります。また観経には、衆生が阿弥陀仏を礼拝・称念して往生したいと願えば、仏は無数の化仏や化観音・化勢至菩薩をつかわし、行者を護ってくれ、また先の二十五菩薩などと百重・千重に取り囲んで、行住坐臥、一切のとき、ところにおいて、つねに行者から離れることはないと説いてあります。この世ですでにこの優れた利益があるのですから、たのむべきです。願わくば、行者たちよ、おのおの心から浄土往生を求めようではないか。また大経にはこう説かれています。わたし法蔵が成仏するときには、世界中の衆生がわが名号を称えるであろう、それがたった十声であっても、もし往生できないようなら、正覚をとることはありません、と。法蔵は現に成仏しておいでになります。この深重の誓願は成就されているのですから、だれでも称念すればかならず往生できると知るべきです。

タグ:親鸞を読む
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