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矛盾について(その589) ブログトップ

3月14日(水) [矛盾について(その589)]

 「なにか浮かない」ことをもう一つ上げておきましょう。
 法然の弟子たちの間で「法然上人の信心は素晴らしい。わたしなどは足元にも及ばない」といった話が出たのでしょうか、それを「なにか浮かない」と感じた親鸞は「善信(親鸞のことです)が信心も聖人(法然のこと)の御信心もひとつなり」と言った。すると兄弟子たちは「いかでか聖人の御信心に、善信房の信心ひとつにはあるべきぞ」と気色ばみます。「ばかなことを言うんじゃない」とたしなめたのです。
 こうして大論争になり、最後に法然に尋ねたところ、「源空(法然のこと)が信心も如来よりたまはりたる信心なり、善信房の信心も如来よりたまはらせたまひたる信心なり。さればただひとつなり」と裁断が下りたのでした。
 何ごとにも優劣があり軽重があるとするのが常識でしょう。さる高名な大学教授は、人のいのちにも軽重があるのは当たり前だと言っていましたが、ぼくはこの考え方に「なにか浮かない」ものを感じます。
 なるほど、顔のよさ、頭のよさ、人柄のよさなどには軽重があるでしょう。でも人のいのちに軽重があるでしょうか。もし天皇の心臓手術とホームレスの心臓手術とに軽重がつけられるとすれば、ぼくは「なにか浮かない」と感じます。
 きっと親鸞も同じじゃないかと思うのです。

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