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「『正信偈』ふたたび」その9 ブログトップ

「正信偈」の構成 [「『正信偈』ふたたび」その9]

(9)「正信偈」の構成

かくして本願名号の恩を知り、賜った功徳に報ずるために「正信偈」をつくるとして、親鸞はこう述べます、「しかれば大聖の真言に帰し、大祖の解釈を閲して、仏恩の深遠なるを信知して、『正信念仏偈』を作りていはく」と。さて、六十行、百二十句からなる「正信偈」の構成を見ておきますと、最初に「帰命無量寿如来 南無不可思議光(無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無したてまつる)」の一行、二句がきます。「帰敬偈(ききょうげ)」とよばれ、これは「願生偈」冒頭の「世尊、われ一心に尽十方無礙光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず」に当たります。

次いで「法蔵菩薩因位時(法蔵菩薩の因位の時)」から「難中之難無過斯難(難のなかの難これに過ぎたるはなし)〉までの二十一行、四十二句が「依経段(えきょうだん)」とよばれます。『大経』に依拠して弥陀・釈迦二尊を称える段で、その前半(「必至滅度願成就(必至滅度の願成就なり)」まで)が弥陀を、その後半(「如来所以興出世(如来、世に興出したまふゆゑは)」から)が釈迦を称えて詠われます。そしてその後、「印度西天之論家(印度西天の論家)」から「必以信心為能入(かならず信心をもつて能入とす)」までの三十六行、七十二句が「依釈段(えしゃくだん)」とよばれます。高僧たちの論釈に依拠する段ということで、はじめの二行、四句がその序に当たり、つづいて龍樹・天親・曇鸞・道綽・善導・源信・源空の七高僧が次々に称えられます。

そして最後に「弘経大士宗師等(弘経の大士・宗師等)」から終わりの「唯可信斯高僧説(ただこの高僧の説を信ずべし)」までの二行・四句が「結び」になります。それにしてもたった六十行、百二十句のなかに浄土真宗の要義をすべて畳み込むというのは何とも卓越した能力であると言わざるをえません。ただ、あまりにも濃縮されているがゆえに、それを完全に理解するのはなかなか困難であるとも言えます。じっくり味わわせていただくことにしましょう。

(第1回 完)


タグ:親鸞を読む
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