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2月3日(木) [矛盾について(その189)]

 これまで述べたことからこう言っていいでしょう、心神喪失や心神耗弱でない限り、「しようと思う」ことが「する」ことの可能条件であり、それが自由ということだと。
 「しようと思う」のは「わたし」であり、誰のどんなに強い命令(軍隊の上官の命令)であったとしても、「これは命じられたのであって、わたしの意思ではない」という言い訳は通りません。命じられたからであるのは確かであっても、命じられたから「わたし」がそうしようと思ったのです。命じられても「わたし」がそうしようと思わなければそうすることはありません。
 「いや、軍隊の上官から命じられたら、そうしようと思わないという選択肢はありえないよ」という反論があるかもしれません。
 なるほど上官の命令は絶対(「上官の命令は天皇の命令である」)で、それに背くことなど想像もできない状況では、そうしようと思わないという選択肢はないでしょう。でもそのとき、それ以外の選択肢はないと思ったのは「わたし」です。これはもう従うしかないと思って従ったのです。としますと、最終的にはやはり「わたし」がそうしようと思ってそうしたということになります。
 ぼくらが何かを「する」に至るには、さまざまな経緯があるでしょう。何の気なしにそうする場合もありますし、ものすごい圧力をかけられてそうせざるを得ない場合もあります。しかし最後に「そうしよう」と思うのは「わたし」であり、そのゴーサインがなければ何事も起こりません。
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