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「『証巻』を読む」その1 ブログトップ

はじめに [「『証巻』を読む」その1]

第1回 即の時に大乗正定聚の数に入る

(1)  はじめに

皆さん、こんにちは。これから「証巻」を読みたいと思います。『教行信証』の第四の巻です。

『教行信証』は六巻仕立てで、第一が「教巻」、第二が「行巻」、第三が「信巻」、そして第四が「証巻」ときて、その後に第五が「真仏土巻」、最後の第六巻が「化身土巻」とつづきます。この構成については「教巻」の冒頭に「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり」と述べられ、往相の教・行・信・証のそれぞれが第一の巻から第四の巻に割り当てられます。そして還相回向については「証巻」の後半で説かれます。では後の「真仏土巻」と「化身土巻」の二巻はといいますと、浄土の教えに「真」と「化」があることを明らかにするもので、「真仏土巻」では真の仏と真の仏土が、「化身土巻」では化の仏と化の仏土について説かれます。

「証巻」までの各巻で述べられてきたことをざっと整理しておきましょう。まず「教巻」では「真実の教」は『大無量寿経』に説かれており、その本質は「本願」と「名号」にあると述べられます。次の「行巻」において、弥陀の本願を衆生に届けるために、無量の諸仏によって名号が称えられることが述べられ、「南無阿弥陀仏」という名号は「本願招喚の勅命」すなわち「ただちに帰って来れ」という呼びかけに他ならないことが明らかにされます。そして「信巻」で、十方の衆生がその呼びかけ(名号)を聞いて信心歓喜し、それにこだまするように名号を称えることが述べられます。本願と名号が如来より回向されても、それを衆生が信心し念仏することがなければ(本願と名号に遇うことがなければ)、そのはたらきをすることができないことが明らかにされます。

さて、このように衆生が如来から回向された本願を信じ、名号を称えたとき、衆生に何が起こるか、これに答えるのが「証巻」です。


タグ:親鸞を読む
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