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9月10日(土) [矛盾について(その403)]

 「ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ」という賢治のことばは、ほんとうの慈悲のこころを教えてくれます。
 あの大震災から半年が経とうとしていますが、この間の政治家たちの争いは何とも見苦しいものでした。与党にしても野党にしても、手柄を立ててみんなから「ホメラレ」ようと必死になっているように見えます。国民から「デクノボー」と呼ばれたくないという思いで一杯のように見えます。みんなから「デクノボー」と呼ばれようが、誰からも「ホメラレ」ることがなかろうが、あの鳩のように何とかしなくちゃの思いで必死になっているようには見えません。そこに何か嘘くさいものを感じてしまうのではないでしょうか。
 金子氏はどこかで「涅槃」を「後味がよい」ということばに置き換えていますが、この辺りの切れ味のよさには何ともすごいと感嘆させられます。涅槃とは死ぬときに、後味よく死んでいく。ご用が済んで、後に何も残さないのが涅槃だということですが、それを一日一日の生活にも当てはめることができるでしょう。何をするにせよ、後味がよいかどうかで判断するということです。人に親切にするにしても、それを自分の手柄にしようとすると、どことなく後味が悪いものです。仕事を一生懸命やろうとするときでも、それで誰かに勝った負けたとなるのでは、何となく後味が悪い。そうならないように、後に何も残らないように、ただ自分のするべきことをにっこり笑いながらしていく。
 そんなふうにはなかなかできないなあと思いつつ、でも「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と思うのです。

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