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横超断四流 [「信巻を読む(2)」その32]

(8)横超断四流

以上で「三心一心問答」が終わり、ここで「信巻」を閉じてもよさそうに思われますが、実はこれから「信巻」の後半部分がはじまります。そのはじめが「横超断四流」についての注釈です。

「横超断四流(しる、四つの激しい煩悩の流れ。また生老病死を指す)」といふは、横超とは、横は竪超(しゅちょう)、竪出(しゅしゅつ)に対す。超といふは、迂(う、遠回り)に対し、回(え、回り道)に対することばなり。竪超とは大乗真実の教なり。竪出とは大乗権方便(ごんほうべん、権化方便の略。善巧方便に対して、能力の低いものを導くための仮の教え)の教、二乗三乗(声聞乗と縁覚乗が二乗。それに菩薩乗をあわせて三乗)迂回の教なり。横超とはすなはち願成就一実円満の真教、真宗これなり。また横出あり。すなはち三輩九品(大経に説かれる上輩・中輩・下輩が三輩。観経に説かれる上品上生から下品下生までが九品)定散の教(定善・散善の教え)、化土(けど、真実の浄土に対して仮の浄土)懈慢(けまん、化土の名称のひとつで、懈慢界のこと)、迂回の善なり。大願清浄の報土には品位階次(ほんいかいじ)をいはず、一念須臾(いちねんしゅゆ、きわめて短い時間)のあいだに速やかにとく無上正真道(阿耨多羅三藐三菩提のこと。仏のこの上ない悟りの智慧)を超証す。ゆゑに横超といふなり。

横超断四流」ということばは、先の欲生釈において『観経疏』「玄義分」から引かれた文のなかに出ていました、「ともに金剛の志を発(おこ)して、横に四流を超断せよ」と。そしてさらに菩提心釈でも菩提心に竪すなわち自力と横すなわち他力の別があることが述べられていました。それをここでまたとり上げるのは「横超」という二文字に他力回向の信心の本質がよくあらわれているからでしょう。

「竪・横」、「超・出」の「二双四重」についても菩提心釈のところですでに言われていましたが、ここではいわゆる教相判釈として述べられていますので、あらためてその意味を確認しておきましょう。竪超すなわち自力の頓教は天台・華厳・真言・禅などを指し、竪出すなわち自力の漸教は法相・三論、さらには小乗の教えを指します。そして横超すなわち他力の頓教は第十八願の教えで、横出すなわち他力の漸教は第十九願・第二十願の教えです。


タグ:親鸞を読む
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