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おふみ [「『おふみ』を読む」その4]

(4)おふみ

さてようやく「おふみ」です。蓮如が本願寺の勢力を急速に伸ばすことに成功する上で最大の力を発揮したのはこの「おふみ」でしょう。親鸞が京に戻ったのちに、関東の弟子たちに宛てて書いた書簡がその範型になっているのは間違いありません。蓮如は若いころ親鸞の書簡集『末燈鈔(まっとうしょう)』を書写し、その最後のところに「およそこの御消息は念仏成仏の咽喉(いんこう)にして、愚痴愚迷(ぐちぐまい)の眼目なり」と記しています。

親鸞の書簡には、末尾に「乗信坊にかやうにまふしさふらふやうを、ひとびとにもまふされ候べし」(『末燈鈔』第6通)とか、「このふみをもて、ひとびとにもみまいらせたまふべく候」(同第9通)というように、みんなで共有してくださいと添え書きしてあることが多いのですが、蓮如はここから大事なことを汲み取ったに違いありません。この形式は布教のツールとしてきわめて有効であるということです。

親鸞の書簡はそのほとんどが弟子たちからさまざまな疑問が寄せられたのに対する返信です。親鸞が京に戻ってしまったがために、胸に萌した不審を質すには、面倒でも手紙をしたためるしかありません。弟子たちのそうした疑問に親鸞は丁寧に答えているのです。ですから、他のみなさんにもお伝えくださいというのは、同じような疑問をみな持っているに違いないと思うからでしょう。

それに対して、蓮如の「おふみ」は最初から明確な目的意識のもとに書かれていると言えます。当流、すなわち浄土真宗の正しい信心を、間違いなく、しかも効率的に多くの門徒に届けるために、これに勝る方法はないという信念のもとに、蓮如のイニシャティブで書き送られています。この第1帖第1通(これから手間をはぶくために、1・1と表記します)の出だしを見ますと、親鸞の場合と同じように、ある人から疑問が寄せられ、それに答えているような感じですが、そのような体裁をとっているだけで、蓮如自身が問題と思っていることをテーマとして取り上げて書いているのは間違いないでしょう。


タグ:親鸞を読む
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