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海・河に網をひき [『歎異抄』ふたたび(その105)]

(6)海・河に網をひき


そして「海・河に網をひき、釣をして、世をわたるものも、野山にししをかり、鳥をとりて、いのちをつぐともがらも、商ひをし、田畠をつくりて過ぐるひとも、ただおなじことなり」という印象に残ることばが紹介されます。ここには漁夫や猟師、そして商人や農夫が上げられ、「ただおなじことなり」と言われますが、どんな生業をして世を過ごすかはみな宿業によるという点において「おなじこと」という意味でしょう。漁夫や猟師は殺生を生業とするものとして卑賤視されていたことが分かりますが、そのような身に生まれついたのも宿業のなせるわざであるということです。


これを読んで頭に浮ぶのは、親鸞が『唯信鈔文意』において慈愍(唐代の念仏僧です)の偈文にある「能令瓦礫変成金(よく瓦礫を変じて金と成さしむ)」を注釈して次のように述べている箇所です。「れふし・あき人、さまざまなものはみな、いし・かはら・つぶてのごとくなるわれらなり。如来の御ちかひをふたごころなく信楽すれば、摂取のひかりのなかにをさめとられまゐらせて、かならず大涅槃のさとりをひらかしめたまふは、すなはち、れふし・あき人などは、いし・かはら・つぶてなんどをよくこがねとなさしめんがごとしとたとへたまへるなり」と。


これらのことばから、親鸞は越後流罪の後、関東の地でどのような人たちと交わって暮らしてきたかがよく伝わってきます。そして猟師や商人(屠沽の下類と呼ばれていました)たちを「いし・かはら・つぶてのごとくなる〈われら〉」と言うところに彼の立ち位置がはっきり現れています。それはまた彼の肖像画からもうかがうことができます。「安城御影」(三河安城に伝わることからこう呼ばれます)では親鸞はタヌキ皮の敷物に坐り、その前に猫皮の草履が置いてありますし、「熊皮御影」では、その名のごとく熊皮の敷物に坐っていますが、それはこれらを親鸞に贈った門弟たちが狩猟を生業にしていたことを示しています。


さてここで考えたいのは、生業による厳しい差別があるなかで、それを宿業のなせるわざとすることは、そうした差別を合理化し是認することにならないかということです。



タグ:親鸞を読む
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