SSブログ
『ふりむけば他力』(その25) ブログトップ

証言すること [『ふりむけば他力』(その25)]

(9)証言すること

 ときどきこういう質問を受けます、「本願力は気づいてはじめて存在するというお話ですが、どうすればそれに気づくことができるのでしょう」と。しかしこの「どうすれば」には残念ながらお答えすることはできません。その理由は他でもありません、本願力は本人が気づいてはじめてその姿をあらわすからです。もし本願力を自分でこちらからつかみ取ることができるのでしたら、どうすればつかみ取れるかをお答えすることができますが、何度も言いますように、本願力がむこうからわれらをつかみ取るのですから、どうするもこうするもありません、気づいたときにはもうすでにつかみ取られているのです。としますと、再度問います、他を教化するということはどうなるのでしょう。
 親鸞は29歳にして「雑行(ぞうぎょう)を棄てて本願に帰す」(彼の主著『教行信証』の後序にあることば)ことになり、35歳のとき承元(じょうげん)の法難で越後に流されることになりますが、それが赦されてのちも京都に戻ることなく関東で「自信教人信(じしんきょうにんしん、みづから信じ、人を教えて信ぜしむ)」の生活をすることになります。さらに60歳を過ぎて京都に戻ってからも90歳で亡くなるまで主に手紙などを通じて関東の弟子たちへの教化活動をつづけましたが、これをどう理解すればいいのでしょう。「教人信」とか「教化」と言いますが、いったい本願力をどのようにして教えることができるのでしょう。「知る」ことについては教えることができるでしょうが、「気づく」ことをどのように教えるのでしょう。
 ここで考えてみたいのが「証明」と「証言」の違いです。これまで見てきましたように本願力を証明することはできませんが、しかしそれを証言することはできます。
 次は『教行信証』の序に出ることばです。「ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月氏(せいばん・げっし、インドをさします)の聖典、東夏(中国です)・日域(日本)の師釈に、遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり」。これで見ますと『教行信証』という書物は、親鸞が「遇ひがたくしていま遇ふことを得た」ことを慶び、「聞きがたくしてすでに聞くことを得た」ことを感謝して、それを人々に証言しているということができます。彼が生涯をかけて行ったのは、本願力の教えを証明して人々を説得することではなく、自分が如何にして教えに目覚めたかを証言することであったと言えるのではないでしょうか。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学問
『ふりむけば他力』(その25) ブログトップ