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二双四重 [「信巻を読む(2)」その2]

(2)二双四重

さてこの文は菩提心を二双四重(このことばは存覚の注釈書『六要鈔』に由来します)という方式で分類していますので、まずこの親鸞独特の方式について述べておかなければなりません。二双とは二つの軸を設けることでで、その一つは「竪(自力)と横(他力)」の軸、もう一つは「超(頓、すぐさまということ)と出(漸、ゆっくりということ)」の軸で、この二つの軸を組み合わせることで「竪超」・「竪出」・「横超」・「横出」の四つ(四重)になります。ひと言で菩提心と言っても、この四種類の菩提心があるということです。

この文では「竪超」と「竪出」の違いには重きが置かれず、「権実・顕密・大小の教」すなわち聖道門の菩提心として一括りにされ、「歴劫迂回の菩提心」つまり長い道のりを経て菩提に至ろうとするもので、要するに自力の菩提心です。それに対するのが「横の菩提心」すなわち他力の菩提心ですが、それに「横出」と「横超」があるとされ、「横出」は「正雑・定散、他力のなかの自力の菩提心なり」と言われます。これは自らさまざまな行を修めることによって往生を得ようとするもので、「横超」へ導くための方便とされます。そして真実の菩提心が「横超」であり、これこそ「願力回向の信楽」すなわち本願力によって与えられる真実の菩提心です。

ここで親鸞が言おうとしているのは、菩提心と言っても、自力の菩提心と他力の菩提心があるのだということで、このとき彼の頭に明恵の『摧邪輪』が浮んでいたのは間違いないでしょう。明恵はこの書物で法然の『選択集』を「菩提心を撥無している」として厳しく批判したのですが、親鸞はそれに応答していると考えられます。法然が否定したのは自力の菩提心であり、他力の菩提心こそが真実の菩提心であると述べているのだということです。それを理解できないのは「信不具足」であり「聞不具足」であると言わなければならないとやり返しているのです。


タグ:親鸞を読む
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