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11月14日(日) [矛盾について(その109)]

 一見、まず「機の深信」があり、しかる後に「法の深信」があるように思えます。ぼくも長い間そのように思い続けてきました、「機の深信」がなければ「法の深信」はないと。
 「機の深信」は「法の深信」のための条件だと捉えるこの見方は、どんなことも一挙に達成できるのではなく、苦しい準備期間を経てようやく目標に到達できるという常識に根ざしています。「法の深信」も「機の深信」があってはじめて到達できるのだと考えるのです。これは常識に合致するだけに自然と頭におさまり、疑問を持つこともなく過ごしてしまいます。しかしここには根本的な錯誤があります。「機の深信」も「法の深信」もこちらからゲットするものだと考える錯誤です。これらは向こうから与えられるしかないのに、こちらから手に入れるものと考えているのです。
 何ものかを手に入れようとしますと、それ相応の準備が必要です。闇雲にやろうとしてもうまくいくものではありません。しかし、向こうから与えられるしかなく、気がついたらもう与えられていたという場合は、準備も何もありません。あるとき思いもかけず与えられているのです、こちらはそれに気づくだけ。「機の深信」とは「こんな自分は救われない」と感じることであり、「法の深信」とは「こんな自分が救われる」と感じることです。感じることは、どうもがいてもこちらから手に入れることはできません、向こうから与えられるしかありません。
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