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『観無量寿経』精読(その84) ブログトップ

下品中生 [『観無量寿経』精読(その84)]

(5)下品中生

 次の下品中生の段を読みながら、さらに考えつづけましょう。

 仏、阿難および韋提希に告げたまはく、「下品中生といふは、あるいは衆生ありて、五戒・八戒および具足戒を毀犯(きぼん)せん。かくのごときの愚人、僧祇物(そうぎもつ、サンガに属する財物)を偸み、現前僧物(同じ結界の僧に施された生活物資)を盗み、不浄説法(己の名誉や名利のために説法すること)して、慚愧あることなく、もろもろの悪業をもつてみづから荘厳す。かくのごときの罪人、悪業をもつてのゆゑに地獄に堕すべし。命終らんとする時、地獄の衆火、一時にともに至る。善知識の、大慈悲をもつて、ために阿弥陀仏の十力威徳を説き、広くかの仏の光明神力を説き、また戒・定・慧・解脱・解脱知見を讃ずるに遇はん。この人、聞きをはりて八十億劫の生死の罪を除く。地獄の猛火(みょうか)、化して清涼(しょうりょう)の風となり、もろもろの天華を吹く。華の上にみな化仏・菩薩ましまして、この人を迎接(こうしょう)したまふ。一念のあひだのごとくに、すなはち往生を得。七宝の池のなかの蓮華のうちにして六劫を経て蓮華すなはち敷(ひら)けん。華の敷くる時に当りて、観世音・大勢至、梵音声(ぼんのんじょう、きよらかな声)をもつてかの人を安慰(あんに)し、ために大乗甚深の経典を説きたまふ。この法を聞きをはりて、時に応じてすなはち無上道心を発(おこ)す。これを下品中生のものと名づく」と。

 下品上生ではただ「多く衆悪を造りて」としかありませんでしたが、中生では「五戒・八戒および具足戒を毀犯」するだけでなく、「僧祇物を偸み、現前僧物を盗み、不浄説法して」と悪の中味がより具体性を帯び、その重みが増してきます。そしていずれも慚愧することなく臨終を迎えるのですが、そのとき善知識に遇うことができるのです。上生の場合、善知識は「仏名を称する」ことを勧めましたが、中生では「阿弥陀仏の十力威徳を説き、広くかの仏の光明神力」を讃歎します。そしてそれを聞くだけで「八十億劫の生死の罪」が除かれると説かれるのです。

タグ:親鸞を読む
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