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8月3日(火) [矛盾について(その7)]

 矛盾はコピーにしか起こらず、オリジナルには存在しないとしますと、言説の中でも陳述文にだけあり、遂行文は除外されることになります。こうして矛盾はぼくらの言語活動の中のかなり狭い範囲に絞られる結果となります。普通の論理学では対象を命題に絞って、そこにどのような論理法則があるかを究明します。命題とは真か偽かを明らかにできる言説のことですから、ここで言う陳述文のことです。陳述文Aについて「A、かつ、Aではない」と主張することが矛盾です。
 ものごとの真偽を明らかにしようとする学問のために仕えているのが論理学ですから、命題だけを相手にするのは当然のことかもしれませんが、日常の言語活動の中で矛盾を捉えたいぼくとしては、範囲を絞って厳格さを追求するよりは、もっとオープンに議論したいと思うのです。と言いますのも、「きみの言うことは矛盾しているよ」と非難するとき、「きみの言うこと」は命題には限られていないと思うからです。「この矛はどんな盾も貫くが、この盾はどんな矛も跳ね返す」が矛盾した命題ですが、「わたしの全遺産を弟に与えるが、わたしの全遺産を市に寄付する」という遺言はどうでしょう。これは命題ではありませんが、同じように矛盾しているのではないでしょうか。
 遺言するという行為はひとつの現実ですから、それが矛盾しているはずがないとも言えますが、遺言するのは走るとか食べると違って言語的行為ですから、そこに「A、かつ、Aではない」という構造が生じる余地があるのです。ぼくが走るとき、そこに矛盾が入り込む余地はありません。ぼくが走っているのが唯一の現実ですから、ぼくが走らないという現実はなく、したがって矛盾はありえません。ところが、ぼくが遺言する場合は、何を遺言するかが肝心で、そこに矛盾が入り込むことがあるのです。「わたしの全遺産を弟に与えるが、わたしの全遺産を市に寄付する」と遺言する場合がそうです。これは、一方で「わたしの全遺産を弟に与える」と遺言しながら、同時に「わたしの全遺産を弟に与えない」と遺言しているのですから、矛盾した遺言だと言わなければなりません。
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