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11月18日(木) [矛盾について(その112)]

 「あいつにも生きる場所がある」と「お前にも生きる場所がある」が矛盾なく両立できれば問題ないのですが、残念なことに椅子は一つしかありませんから、「みんなにひとしく生きる場所がある」という声がもともと矛盾をはらんでいると言わなければなりません。宮沢賢治の眼はいつもそこを見つめていました。
 「それからにわかによだかは口を大きくひらいて、はねをまっすぐに張って、まるで矢のようにそらをよこぎりました。小さな羽虫が幾匹も幾匹もその咽喉にはいりました。…一疋の甲虫が、夜だかの咽喉にはいって、ひどくもがきました。よだかはすぐそれを呑みこみましたが、その時何だかせなかがぞっとしたように思いました。…(ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで飢えて死のう。…)」(宮沢賢治『よだかの星』)
 よだかはこれまで無数の虫たちを食べてきたはずですが、そのことを意識したことなどついぞありません。ところが自分が鷹に殺されるという窮地に陥り、そのことを「ああ、つらい、つらい」と嘆く中で、自分の咽喉をひっかいてもがく虫の「つらさ」にはじめて思い至るのです。他のいのちを奪わなければ己のいのちをつなぐことができないことに思い至るのです。このような食い食われる果てしない連鎖において「みんなにひとしく生きる場所がある」の声そのものが矛盾しています。よだかが生きる場所を確保するためには、羽虫たちの生きる場所を奪わなければならないのに、よだかも羽虫たちもひとしく生きる場所があるというのですから。
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