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なんぢ一心に正念にしてただちに来れ [『教行信証』「信巻」を読む(その74)]

(2)なんぢ一心に正念にしてただちに来れ


「二河白道の譬え」のつづきです。


時に当りて惶怖(こうふ、おそれおののく)することまたいふべからず。すなはちみづから思念すらく、〈われいま回(かえ)らばまた死せん、住(とど)まらばまた死せん、去(ゆ)かばまた死せん。一種として死を勉(まぬか)れざれば、われ寧(やす)くこの道を尋ねて前に向かひて去かん。すでにこの道あり、かならず可度すべし〉と。この念をなす時、東の岸にたちまちに人の勧むる声を聞く、〈きみただ決定してこの道を尋ねて行け、かならず死の難なけん。もし住まらばすなはち死せん〉と。また西の岸の上に、人ありて喚(よ)ばひていはく、〈なんぢ一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ〉と。この人、すでにここに遣(つか)はし、かしこに喚ばふを聞きて、すなはちみづからまさしく身心に当りて、決定して道を尋ねてただちに進んで、疑怯退心(ぎこうたいしん、疑い迷う思い)を生ぜずして、あるいは行くこと一分二分するに、東の岸の群賊等喚ばひていはく、〈きみ回り来たれ。この道険悪なり、過ぐることを得じ。かならず死せんこと疑はず。われらすべて悪心あつてあひ向かふことなし〉と。この人、喚ばふ声を聞くといへども、またかへりみず、一心にただちに進んで道を念じて行けば、須臾に(しゅゆに、ただちに)すなはち西の岸に到りて、永くもろもろの難を離る。善友(ぜんぬ)あひ見て慶楽すること已むことなからんがごとし。これはこれ、喩へなり。


次に喩へを合せば、〈東の岸〉といふは、すなはちこの娑婆の火宅に喩ふ。〈西の岸〉といふは、すなはち極楽宝国に喩ふ。〈群賊・悪獣詐(いつわ)り親しむ〉といふは、すなはち衆生の六根・六識・六塵(六根とは眼・耳・鼻・舌・身・意。六識とは眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識。六塵とは色・声・香・味・触・法)・五陰・四大(ごおん・しだい、五陰とは色・受・想・行・識。四大とは地・水・火・風)に喩ふ。



タグ:親鸞を読む
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