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5月31日(火) [矛盾について(その301)]

 芹沢氏は本の中で、ある自立援助ホームにやってきた研修生と、ホームの先生との会話を紹介しています。
 「先生、私は何をしたらいいでしょう」
 「何もしなくていいよ」
 「…」(絶句)
 何かをしなければならないと思っている研修生に思いもかけない答えが返ってきたのです、「何もしなくていい」と。しかし「何もしない」ことほど大変なことはありません。自分は必要とされていないのではないかと思ってしまいます。でも、この「何もしなくていい」は、芹沢氏のことばでは「〈する〉ことの留保において、自分を360度子どもに開いておくということ、自分を子どもに差し出しておくということ」です。
 ぼくもこれまで学校で問題行動をくり返す生徒への対応について、同じようなことを考えてきました。「じっと傍にいる」ことの大切さと、そして難しさです。教師はとかくそうした生徒に手を差しのべようとします。その生徒を立ち直らせたいと思うからです。教師というのは、問題を起こした生徒をいかに立ち直らせるかが勝負だと思っています。ですから、そうした生徒を前にして饒舌になります。「きみは高校生にもなって、どうしてこんなことをするのか。一体何を考えているんだ」と矢継ぎ早にことばを浴びせます、沈黙が怖いかのように。
 そんなとき、その生徒の横にそっと座り、何も問いかけることなく「ただ寄り添う」、これは言うほど易しくはありません。どうしても何かを「しなければならない」と思ってしまうのです。

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