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はじめての親鸞(その19) ブログトップ

1月15日(火) [はじめての親鸞(その19)]

 高校教師時代のことを思い出します。
 授業を終えて教室を出ようとしたところで、ある生徒がニコニコしながら「先生、今日の授業おもしろかったよ」と言ったのです。ぼくはそのひと言で授業の疲れも一挙に吹っ飛び、廊下をスキップしたくなりました。それはぼくに「そのまま生きていていいよ」と聞こえたのです。
 その生徒はぼくに救いを与えようなどと思ったわけではないでしょう、ただこころに浮かんだことをぽつりと言っただけのことです。だからこそ、それが救いになったのです。もし彼がぼくを喜ばせようと思ってそう言ったとしたら、ぼくは「ありがとう」とは言うでしょうが、スキップしたくなることはありません。
 「このまま生きていていいのだろうか」という鉛のような問いを抱えている「わたし」に、「そのまま生きていていいよ」という声をかけてくれるのが「あなた」です。しかし、何度も言いますが「あなた」にそんな意識はありません。もしそんな気持ちがあったら「あなた」は「あなた」ではありません。
 「あなた」が「わたし」の「あなた」となるのは、「あなた」にとって〈たまたま〉のことです。「あなた」が「わたし」の「あなた」になってあげようと思うと、もう「あなた」にはなれないのです。

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