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わが所愛はすなはちこれわが有縁の行なり [『教行信証』「信巻」を読む(その69)]

(7)わが所愛はすなはちこれわが有縁の行なり


 回向発願心釈のつづきです。


 問うていはく、もし解行(げぎょう)不同の邪雑(じゃぞう)の人等ありて、来りてあひ惑乱して、あるひは種々の疑難を説きて〈往生を得じ〉といひ、あるひはいはん、〈なんだち衆生、曠劫よりこのかた、および今生の身口意業に、一切凡聖の身の上において、つぶさに十悪・五逆・四重(殺生・偸盗・邪婬・妄語の四重禁)・謗法・闡提・破戒・破見等の罪を造りて、いまだ除尽することあたはず。しかるにこれらの罪は三界悪道(三界は欲界・色界・無色界。悪道は地獄・餓鬼・畜生)に繋属(けぞく、つなぎとめる)す。いかんぞ一生の修福念仏をして、すなはちかの無漏無生の国に入りて、永く不退の位を証悟することを得んや〉と。


答へていはく、諸仏の教行数塵沙(じんじゃ、無数)に越えたり。識(さとり)を稟(う)くる機縁、情(こころ)に随ひて一つにあらず。たとへば世間の人、眼に見るべく信ずべきがごときは、明のよく闇を破し、空のよく有を含み、地のよく載養し、水のよく生潤(しょうにん、うるおす)し、火のよく成壊(じょうえ)するがごとし。これらのごときの事、ことごとく待対(たいたい、相対)の法と名づく。すなはち目に見つべし、千差(せんじゃ)万別なり。いかにいはんや仏法不思議の力、あに種々の益なからんや。随ひて一門を出づるは、すなはち一煩悩の門を出づるなり。随ひて一門に入るは、すなはち一解脱智慧の門に入るなり。ここを為(も)つて縁に随ひて行を起して、おのおの解脱を求めよ。なんぢなにをもつてか、いまし有縁の要行にあらざるをもつて、われを障惑する。しかるにわが所愛はすなはちこれわが有縁の行なり、すなはちなんぢが所求にあらず。なんぢが所愛はすなはちこれなんぢが有縁の行なり、またわれの所求にあらず。このゆゑにおのおの所楽(しょぎょう、願うところ)に随ひてその行を修するは、かならず疾く解脱を得るなり。行者まさに知るべし、もし解(げ)を学ばんと欲はば、凡より聖に至るまで、乃至仏果まで、一切さはりなし、みな学ぶことを得よ。もし行を学ばんと欲はば、かならず有縁の法によれ。すこしき功労(くろう)を用ゐるに、多く益を得ればなりと。



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