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「親鸞とともに」その25 ブログトップ

はじめに [「親鸞とともに」その25]

第2回 帰るということ

(1)はじめに

どこかで浄土の教えにもっともなじみのある文字は「帰」ではないかと述べました。その他に「願」とか「聞」とかいろいろあると思いますが、やはりこの「帰」という字に浄土の教えが凝縮されているような気がします。そして「帰る」ということばそのものに、人の心を温めてくれる力があるように思えてなりません。思い出すことがあります。どこかで読んだのですが、山折哲雄氏が日韓の文化交流の場で、ある韓国の仏教学者から「わたしは日本人が羨ましい、日本人には仏教がしみ込んでいるから」と言われたそうです。山折氏が「そうも思えませんが」と応じたところ、「いえいえ、日本には『夕焼け小焼け』という童謡があるではありませんか」と言われたというのです。

ぼくは「あゝ」と思いました。たしかに「夕焼け小焼けで 日がくれて 山のお寺の 鐘がなる お手てつないで みなかえろ からすといっしょに かえりましょう」という歌はわれらの心の深いところに沁み通ります。そして韓国の学者が見抜いたように、「みなかえろ」というところに仏教(浄土教)の心情が流れています。「手を取りあってみんな帰ろう、帰るべきところへ」―ここに仏教のエートスがあります。いつだったか、うつろな心を抱えて家の近くを散歩していた時、夕暮れの空を鳥たちが三々五々ねぐらに帰ろうと飛んでいるのを見上げては、「あゝ、かれらには安心して帰れるところがあるのだ」と思ったことを思い出します。

「おかえり」という挨拶のことばを考えてみましょう。前に「ありがとう」についていろいろ考えましたし、「ご縁がありましたら」という言い方についてもふれ、これらの日常の言い回しに仏教がしっかりしみ込んでいることを述べましたが、「おかえり」という何気ない挨拶のことばにもどこか仏教のにおいが感じられます。韓国の学者が言われるように、やはりわれわれ日本人には仏教がしみ込んでいると言えそうです。外国語には「おかえり」にぴったりのことばはなく、英語では“Welcome back.”という言い方はあっても、これは遠くから帰ってきたようなときにつかう感じで、毎日のあいさつでは“Hi.”で、これで「おかえり」も「ただいま」も兼ねているようです。


タグ:親鸞を読む
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