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本師源空世にいでて [はじめての『高僧和讃』(その198)]

            第11回 源空讃(その1)

(1)本師源空世にいでて

 さて七高僧最後の源空讃です。20首ありますが、その第1首。

 「本師源空世にいでて 弘願(ぐがん)の一乗ひろめつつ 日本一州ことごとく 浄土の機縁あらはれぬ」(第98首)。
 「本師源空世にいでて、弘願一乗ひろめては、日本全国すみずみに、浄土の機縁あらわれた」。

 ことばの意味から。まず「弘願の一乗」ですが、弘願とは弥陀の本願のなかでも第18願のこと、そして一乗とは「ひとつの乗り物」ということで、一切衆生にとって弥陀の弘願こそたったひとつの乗り物であるということです。次に「浄土の機縁」ですが、源空聖人がおでましになったことで浄土の教えが日本にひろまる条件がととのったということです。しかし日本にはすでに源信の『往生要集』があり、それが日本浄土教の原像をかたちづくってきたことをこれまで見てきました。としますと、源空によって「浄土の機縁あらはれぬ」とはどういうことでしょう。
 ひとつは源空が「弘願の一乗ひろめ」たという点にあります。源信は浄土の教えを概括的に整理して『往生要集』を著しましたが、そこには真もあれば仮もあります。念仏往生とともに、諸行往生も説いています。しかし源空は弘願にもとづき専修念仏をとりました。源信は「念仏も」であるのに対して、源空は「ただ念仏」の立場に立った。かくして源空によって浄土の真の教え、すなわち浄土真宗が開かれたと言えます(親鸞にとって浄土真宗とは法然が説いた浄土の教えのことです、念のため)。「浄土の機縁あらはれぬ」とはそういう意味です。
 もうひとつは「日本一州ことごとく」という点です。源信の念仏はまだ「山の念仏」の流れの中にありました。『往生要集』が後世に絶大な影響を与えたとはいうものの、それは僧侶や貴族文人たちの間だけのことで、一般民衆には雲の上の出来事と言わなければなりません。しかし源空は山を降り、東山吉水に草庵をむすんで念仏の教えを道俗を問わず多くの人に広げていきました。こうして源空によってはじめて「日本一州ことごとく」に「浄土の機縁あらわれ」たのです。

タグ:親鸞を読む
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