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「かの土」と「この土」 [はじめての『高僧和讃』(その232)]

(11)「かの土」と「この土」

 次の和讃です。

 「粟散(ぞくさん)片州に誕生して 念仏宗をひろめしむ 衆生化度(けど)のためにとて この土にたびたびきたらしむ」(第113首)。
 「このたび和国に生まれては、念仏宗を広めらる。衆生済度のためにとて、娑婆にたびたび来られたり」。

 同じ趣旨の和讃が続きます。法然は「かの土」と「この土」を何度も行き来しては、衆生済度のはたらきをしてこられたのだが、このたびはアジアの片隅の日本に生まれ、専修念仏を広めたというのです。
 ここで改めて「この土」と「かの土」との関係を考えたいと思います。「この土」とは「われら衆生の穢土」であり、「かの土」とは「ほとけたちの浄土」です。法然は「かの土」から「この土」に生まれてこられ、そしてまた「かの土」へと帰っていかれたという言い回しはクリアな像を結びます。「ほとけたちの浄土」というのは「いのちそのものの世界」で、「われら衆生の穢土」とは「個々のはかないいのちたちの世界」と言い換えることができるでしょう。「いのちそのもの」からやってきて、「個々のいのち」となり、また「いのちそのもの」へと帰っていくというイメージには何も不自然なものはありません。
 これまで「わたしのいのち」と「ほとけのいのち」という言い方をしてきましたが、それを使いますと、法然は「ほとけのいのち」からやってきて、「わたしのいのち」となり、また「ほとけのいのち」へと帰っていくとなります。「われら衆生の穢土」と「ほとけたちの浄土」の対よりも「わたしのいのち」と「ほとけのいのち」という対の方がいいのではないでしょうか。穢土と浄土となりますと、どうしても空間的に切り離された二つの世界をイメージしてしまいますが、「わたしのいのち」と「ほとけのいのち」では、どちらも同じ「いのち」であり、それがあるとき「わたしのいのち」となり、それがまた故郷としての「ほとけのいのち」に帰っていくということです。

タグ:親鸞を読む
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