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2月20日(日) [矛盾について(その206)]

 誰かが自分の帰りを待ってくれていることがどうして分かるのかという問題に続いて、誰かが自分の帰りを待ってくれていることがどんな意味をもつのかを考えなければなりません。
 一見したところでは文字通りの意味以上はないように思われます。自分が家に帰れるのを待つように、誰か(子どもや妻)が自分の帰るのを待っている。自分が待つか誰かが待つかが違うだけで、いずれにせよ自分が家に帰るのを待つのです。
 しかし実はここに本質的な差異があります。
 自分が家に帰れるのを待つのは、自分が食べたり歩いたりするのと何も変わらず、何かを「する」ことのひとつです。誰かが自分の帰るのを待つことも、その誰かにとっては同様に何かを「する」ことに他なりませんが、自分にとっては思いもかけない大きな意味をもってくるのです。
 誰かが自分の帰るのを待つのは、帰ってきてくれないと困るからです。だから帰ってきてほしいと切実に思う。これは自分自身が帰りたいと切実に思うのと何も変わりません。でも、誰かが自分の帰るのを待っていることに気づいたとき、そのことが自分にとってかけがえのない意味をもってきます。
 自分の「いる」ことが肯定されるのです。
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