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他との関係(つながり) [『ふりむけば他力』(その30)]

(3)他との関係(つながり)

 初期経典には縁起の意味として「これがあればかれがあり、これがなければかれはない。これが生ずればかれが生じ、これが滅すればかれが滅す」と述べられています(『小部経典』「自説経」)。「これ」と「かれ」ですべてのものを指しており、あらゆるものは他のものとの関係(つながり)において存在していて、他との関係から離れてそれ自体として存在するものはないということです。「これ」が「これ」である所以は他の無数のものたちとの関係においてあるということ、したがって「これ」は何であるかを知ろうとして「これ」自体をどれほどひねくり回しても意味がなく、それがつながりあっている他のものたちとの関係を見なければならないということです。
 縁起の対極にあるのがアトミズム(原子論)で、すべてのものの究極は、もうそれ以上は分解できないアトム(原子)という極微の物質であり、それが合成されてすべてのものが成り立っているという発想です。アトミズムではAというアトムはそれ自体として存在しており、他のものと無関係にAですが、縁起ではAはそれ自体としては何ものでもなく、Bとの関係においてはじめてAとなります。そしてCとの関係におけるAはもはやBとの関係におけるAではありません。Bとの関係におけるAをA(B)と表しますと、A(B)≠A(C)ということになります。現実に存在するのはA(B)、A(C)、A(D)、…であり、Aそのものはどこにもないというのが縁起の発想です。
 このように見てきますと、はじめはどうということのない、ごく当たり前の発想に思えていた縁起が、どうも当たり前とは言えないぞと感じられてきます。たとえばぼくという存在。
 人との関係だけを考えても、ぼくはいろいろな人と関係しあっています。亡き父母との関係、そして兄姉との関係、妻との関係、これまた生まれて間もなく亡くなった子との関係、友人たちとの関係など。あとで大事な問題として考えますが、縁起における関係には同時的な横の関係(例えば妻との関係)のほかに、異時的な縦の関係(例えば亡き父母との関係)もあります。しかしどちらにしてもみな「いま」の関係であり、そこに時間の流れという要素はありません。そしてもう一つ言えば、ぼくと直接つながっている人だけではなく、その人たちがつくっているつながりもありますから、それらを含めますともう縦横無尽の関係のなかにあると言わなければなりません。

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