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「『正信偈』ふたたび」その36 ブログトップ

偈文2 [「『正信偈』ふたたび」その36]

(6)偈文2

信が開けたときの風光が詠われてきましたが、さらにこう言われます。

獲信見敬大慶喜 即横超截五悪趣

信をえて、みてうやまひ、おほきに慶喜すれば、すなはちよこさまに五悪趣(地獄・餓鬼・畜生・人・天)を超截す

弥陀のよびごえが聞こえて心に喜び満ちるとき、もうすでに生死の迷いを超えている

二句とも『大経』にもとの文があり、一句目のもとは「往覲偈(おうごんげ)」の「法を聞きてよく忘れず、見て敬い得て大きに慶はば、すなはちわが善き親友(しんぬ)なり」、二句目はその少し後の「かならず超絶して去(す)つることを得て安養国に往生して、横(よこさま)に五悪趣を截(き)り、悪趣自然に閉じ、道に昇るに窮極(ぐうごく)なからん」で、前の文の「見て敬い得て大きに慶はば」と、後の文の「横に五悪趣を截り」をつないでいます。

この二句は、親鸞自筆の『教行信証』「坂東本」を見ますと(写真版で見ることができ、親鸞が執筆したときの息遣いが伝わってくるようです)、推敲の跡が生々しく残っています。

第一句のもとは「見敬得大慶喜人(見て敬い、得て大きに慶喜する人)」で、それは墨で塗りつぶされており、その左側にまず「獲信大慶」と書かれ、さらに「大慶」が塗りつぶされて、その上から「見敬」と書き直され、その下に「大慶人」とつづいています。ですから最終的には、右側に墨で塗りつぶした跡があり、その左側に「獲信見敬大慶人」と書かれています。現行の「正信偈」(蓮如の「文明版」がもとになっています)は「獲信見敬大慶喜」で、最後の「人」が「喜」に変わっていますが、それは親鸞自筆本を弟子が書写するときに、誤ってか、それともあえてか、そのように書き写したと思われます。第二句の「截五悪趣」の部分も、もとあった文字の上に重ねて書き直されていて(もとの文字は判読できません)、親鸞がこの二句にはおそらく何度にもわたって手を加えたものと考えられます。


タグ:親鸞を読む
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