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8月2日(月) [矛盾について(その6)]

 これまでのところを振り返りますと、矛盾は言説にあって現実にはないということを確認しようとしているのでした。しかし言説と現実との境目がなかなかに微妙で、すっきり分けることが難しいという地点に差し掛かり、それをどう考えればいいのかをめぐって考えあぐねているのです。
 言説は現実のコピーだと言ってしまうことができれば、両者の関係を「コピーとオリジナルの関係」とすることができるのですが、現実のコピーではなくオリジナルそのものであるような言説があることが明らかになったからです。遂行文というのは言説がそのまま現実であるような言説です。それは、命名や約束という行為を遂行しているのです。ぼくらが走ったり食べたりするように、命名したり約束したりしているのです。
 もうお分かりでしょうが、前に上げました「こんにちは」や「この荷物持ってくれる」あるいは「黙れ」なども、挨拶したり、要請したり、命令しているのですから、ぼくらの言語活動の多くは事実の記述ではなく、行為の遂行です。ぼくらはそれが行為そのものであるような言語活動を多くしているのです。
 こんな疑問を持たれた方がいらっしゃるのではないでしょうか。そんなふうに言うなら、事実の記述というのも行為の一種ではないかと。命名したり約束したり、あるいは挨拶するのと同じように、事実を記述するのだから、それも同じように行為であって、遂行文と陳述文を区別するのは無理じゃないかという疑問です。
 事実を記述することももちろんひとつの行為ですが、「コピーされた事実」と「コピーする行為」とは全く別です。ところが命名したり約束したりするときは、その言説そのものが行為であり、言説と行為を切り離すことはできません。遂行文はこれまでなかった新しい現実を生み出しているのです。そういう意味で、陳述文はコピーですが、遂行文はオリジナルなのです。

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