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下品下生 [『観無量寿経』精読(その87)]

(8)下品下生

 いよいよ最後の下品下生です。

 仏、阿難および韋提希に告げたまはく、「下品下生といふは、あるいは衆生ありて、不善業なる五逆・十悪を作り、もろもろの不善を具せん。かくのごときの愚人、悪業をもつてのゆゑに悪道に堕(だ)し、多劫を経歴(きょうりゃく)して苦を受くること窮まりなかるべし。かくのごときの愚人、命終らんとする時に臨みて、善知識の、種々に安慰して、ために妙法を説き、教へて念仏(仏を心に憶念すること)せしむるに遇はん。この人、苦に逼(せ)められて念仏するに遑(いとま)あらず。善友(ぜんぬ)、告げていはく、なんぢもし念ずるあたはずは、まさに無量寿仏を称すべしと。かくのごとく心を至して、声をして絶えざらしめて、十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ。仏名を称するがゆゑに、念々のなかにおいて八十億劫の生死の罪を除く。命終る時、金蓮華を見るに、なほ日輪のごとくしてその人の前に住せん。一念のあひだのごとくに、すなはち極楽世界に往生することを得。蓮華のなかにして十二大劫を満てて、蓮華まさに開く。観世音・大勢至、大悲の音声をもつて、それがために広く諸法実相・罪を除滅するの法を説きたまふ。聞きをはりて歓喜し、時に応じてすなはち菩提の心を発(おこ)さん。これを下品下生のものと名づく。これを下輩生想と名づけ、第十六の観と名づく」と。

 悪人のなかでも最下の五逆・十悪の悪人が登場してきました。ここに「かくのごときの愚人、悪業をもつてのゆゑに悪道に堕し、多劫を経歴して苦を受くること窮まりなかるべし」とありますが、これまで述べてきましたことから、これは五逆・十悪のもの自身が「かくのごときわれらは云々」と身に沁みて感じていると読むべきでしょう。「とても地獄は一定すみかぞかし」(『歎異抄』第2章)と思っている。だからこそ善知識の勧めで「仏名を称するがゆゑに、念々のなかにおいて八十億劫の生死の罪を除く」と信じることができ、さらに「かの願力に乗じて、さだめて往生を得」(『観経疏』散善義)と信じることができるのです。

タグ:親鸞を読む
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