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4月16日(月) [矛盾について(その622)]

 「たてさま」のイメージとして、真っ暗な海を灯台の明かりを目指して一心に泳ぐことを上げましたが、「よこさま」は、生死の海を浮かび沈みしてもがき苦しんでいるとき、ふとよこを向くと、そこがもう本願の海であることに気づくというイメージです。
 こちらに生死の海があり、はるか彼方に本願の海があって、そこに行くためには生死の海を突っ切らなければならない。これが「たてさま」であるのに対して、生死の海がそのままで本願の海であることにふと気づく。これが「よこさま」です。
 大乗仏教のエッセンスとも言うべきことばに「生死即涅槃」というのがあります。生死と涅槃とは絶対の隔たりがあるはずなのに、生死がそのまま涅槃であると言われる。こんな矛盾はないのに、ここに真理があると感じるのはどういうわけかと、この長い長いお喋りが始まったのでした。
 さてしかし、こんなふうに生死はそのまま涅槃であると言われますと、捉えどころがなく戸惑いますが、生死を「よこさま」に超えるとそこは涅槃であるという言い方になりますと、少しイメージが動きます。
 吉本隆明はそのイメージをこんなふうに表現します、「むしろ絶対的な距たりを知ることは、その距たりを一挙に跳び越えるものである。この『横超』という概念は、漸次的な歩みの果てに到達があり、到達の果てに安楽の浄土があるというイメージを、まったく組みかえるものであった。また生の歩みの果てに死があり、死の奥のほうに無があるという観念のイメージをも組みかえるものであった」と。

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