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親鸞は弟子一人ももたず候ふ [『歎異抄』ふたたび(その63)]

            第7回 弟子一人ももたず候ふ

(1)親鸞は弟子一人ももたず候ふ

 次は第6章、師と弟子についてです。

 専修念仏のともがらの、わが弟子、ひとの弟子という相論(言い争い)の候ふらんこと、もつてのほかの子細なり。親鸞は弟子一人ももたず候ふ。そのゆゑは、わがはからひにて、ひとに念仏を申させ候はばこそ、弟子にても候はめ。弥陀の御もよほしにあづかつて念仏申し候ふひとを、わが弟子と申すこと、きはめたる荒涼のこと(途方もないこと)なり。つくべき縁あればともなひ、はなるべき縁あればはなることのあるをも、師をそむきて、ひとにつれて念仏すれば、往生すべからざるものなりなんどいふこと、不可説なり。如来よりたまはりたる信心を、わがものがほに、とりかへさんと申すにや。かへすがへすもあるべからざることなり。自然のことわりにあひかなはば、仏恩をもしり、また師の恩をもしるべきなりと云々。

 第4章では「ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむ」慈悲の心、第5章では「父母の孝養」、そしてこの第6章では「わが弟子、ひとの弟子」という問題が取り上げられ、そこに孕まれている僭越を鋭くえぐり出していきます。それが聞く人をハッとさせ、わが身をふり返らせることになるのですが、しかしこれまでも述べてきましたように、親鸞は「慈悲の心」や「父母の孝養」、そして「師弟のつながり」そのものを否定しているわけではありません。それらは人の情として自然であり、むしろ人間としてあるべき姿と言わなければなりません。ただそれらの底に潜んでいる「わがはからひ」、「わがものがほ」を指摘して、真実の信心、真実の念仏のありように目を向けさせているのです。
 さて「親鸞は弟子一人ももたず候ふ」ということばも、先の「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず」と同様、人を驚かせるに十分です。と言いますのも、親鸞は流罪赦免後、関東の地で多くの弟子たちを育ててきたことは紛れもない事実だからです。大きなグループが三つあり、性信房を中心とした横曽根門徒、真仏房をリーダーとする高田門徒、そして順信房のもとには鹿島門徒が存在しました。それぞれのグループは各地に道場を持ち、その道場主のもとに多くの念仏者が集っていましたから、その総数はかなりの数にのぼったものと思われます。にもかかわらず「親鸞は弟子一人ももたず候ふ」と言うのはどうしたことでしょう。

タグ:親鸞を読む
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