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12月26日(日) [矛盾について(その150)]

 この「たまたまのことに過ぎない」という考えは、煩悩の虫どもを刺激せずに済ますいい方法ではないでしょうか。
 そもそもぼくがぼくであるのはたまたまのことに過ぎません。まだ幼かった頃のある不思議な感覚はいまも鮮やかに残っています。ぼくの生まれた家は軒先に小さなたばこ屋の店を出していました。ある昼下がりのもの憂い時間にぼくはその店先に座り、ぼんやりと外を眺めていました。そこを一匹のみすぼらしい野良犬が通りかかったのです。ぼくの眼は自然とその犬に向けられたのですが、ふと犬がぼくの方を振り向き、眼と眼があいました。そのときです、不思議な思いにとらわれたのは。「どうしてこの犬はこの犬で、ぼくはぼくなんだろう」と思ったのです。つまり、ぼくがこの犬で、この犬がぼくであっても何の不都合もないではないかということです。
 その犬がその犬であるのも、ぼくがぼくであるのもたまたまのことに過ぎないという思いは肩の力を抜いてくれます。ぼくがぼくであることにしゃちこばることはないからです。ぼくがぼくであることほど大事なことはないじゃないかと言われるかもしれません。確かにぼくのアイデンティティはこのぼくが生きている証であって、それを失くしてしまったらもう腑抜けのようなものでしょう。それをないがしろにすることはできませんが、でも同時にそれはたまたまのことに過ぎないのです。ぼくが日本人であることはぼくにとって大事なことで、ないがしろにすることはできないが、でもそれはたまたまのことであるのと同じです。
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