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『教行信証』「信巻」を読む(その45) ブログトップ

三心 [『教行信証』「信巻」を読む(その45)]

(4)三心



 つづいて『観経疏』の「散善義」から長い引用がはじまります。まずはその最初の部分です。



 またいはく、「〈何等為三(がとういさん、何らをか三となす)〉より下〈必生彼国(かならず彼の国に生ず)〉に至るまでこのかたは、まさしく三心(至誠心・深心・回向発願心)を弁定(べんじょう、数え上げて)して、もつて正因(しょういん、往生の正しい因)とすることを明かす。すなはちそれ二つあり。一つには世尊、機に随ひて益を顕はすこと意密にして知りがたし。仏みづから問うてみづから徴(ちょう、明らかにする)したまふにあらずは、解(さとり)を得るに由なきを明かす。二つには如来還へりてみづから前(さき)の三心の数を答へたまふことを明かす。



 『観経』は、この経典が説かれるに至った経緯を述べる「序分」のあと、心を統一して阿弥陀仏とその浄土および聖聚を観想する「定善十三観」が説かれ、そして散心のままでなすさまざまな善を上品上生から下品下生までの九品の人々に分けて説く「散善三観」がつづきます。ここで引用されている文は、「定善十三観」が終わり、これから「散善三観」がはじまるにあたり、釈迦が「もし衆生ありて、かの国に生ぜんと願ずるものは、三種の心を発して即便(すなわち)往生す。〈なんらかを三つとする(何等為三)〉。一つには至誠心、二つには深心、三つには回向発願心なり。三心を具するものは、〈かならずかの国に生ず(必生彼国)〉」と述べている部分を注釈しています。



親鸞はこの至誠心・深心・回向発願心の三心を第十八願の至心・信楽・欲生の三信に重ね合わせ、「散善義」のこの箇所を真実の信心のありようを明らかにするものとして長く引用しているのです。



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