SSブログ
『ふりむけば他力』(その80) ブログトップ

習慣という起源 [『ふりむけば他力』(その80)]

(4)習慣という起源

 ヒュームは次のような経験を例として出します、「たとえば炎と呼ばれる種類の対象を見たこと、また熱さと呼ばれる種類の感覚を感じたことを思い出す。それにまた、過去のすべての実例で両者の間に恒常的な相伴があったことを思い起こす」と。ここからヒュームは次のように結論します、「もはやこれ以上こだわらずに、われわれは炎を原因、熱さを結果と呼び、一方の存在から他方の存在を推測するのである」と。
 ヒュームは、「過去のくり返しから生じるものを、われわれは『習慣』と呼ぶ」から、因果の観念は「もっぱらこの習慣という起源に起因することを確かな真理として定めてよかろう」と決着をつけるのです。われらがあらゆる出来事には原因があるという信念をもつようになったのは、これまでの経験により、ある種の物事と別の物事がいつも「近接」と「継起」という形でむすびついているのを見てきたことから、一方が原因となって他方の結果を生み出すと考える習慣ができ、そこからどんな物事にもかならず原因があると信じるようになったのだということです。この驚くべき結論の要諦は、原因と結果の結びつきの必然性は対象のなかにあるのではなく、「心のなかに存在するなにものか」すなわちわれらの習慣にあるということです。
 さて、このように因果の観念は「これまで」の経験による習慣にその起源をもつとしますと、「これから」のことについては「必ずこうなる」と言えなくなります。これまでの経験では、石を真上に投げ上げますと、一定の高さまで昇った後、また落下してきましたから、次に投げ上げたときも、同じような軌跡を取るだろうと推測することはできますが、それはあくまでこれまでそうであったということが根拠となっているにすぎず、次に投げたときはどこまでも昇って行くかも知れませんし、あるいは一定の高さに達した後、急に円運動をするようになるかもしれません。そのような可能性を排除することができないということです。
 さあしかしこの考えはニュートン力学にとって大いなる脅威となるのではないでしょうか。カントが独断論のまどろみから目覚めさせられたというのはこのことです。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学問
『ふりむけば他力』(その80) ブログトップ