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第9回、本文1 [「『証巻』を読む」その84]

第9回 願作仏心はすなはちこれ度衆生心

(1)  第9回、本文1

浄入願心の章が終わり、次の善巧摂化(ぜんぎょうせっけ、菩薩の巧みな衆生済度のはたらき)の章に入ります。

善巧摂化とは、〈かくのごときの菩薩は、奢摩(しゃま)()(止、禅定のこと)・毘婆舎那(びばしゃな)(観、観察のこと)、広略修行成就して柔軟(にゅうなん)(しん)なり(浄土論)とのたまへり。柔軟心とは、いはく広略の止観、相順し修行して、不二の心(観る心と観られる相がひとつになること)を成ぜるなり。たとへば水もつて影を取るに、(しょう)(じょう)とあひ(たす)けて成就するがごとしとなり。

〈実のごとく広略の諸法を知る〉(浄土論)とのたまへり。〈如実知(実のごとく知る)〉といふは、実相のごとくして知るなり。広のなかの二十九句、略のなかの一句、実相にあらざることなきなり。

〈かくのごとき(ぎょう)方便(ほうべん)回向(えこう)巧みな手立てで衆生済度する)を成就したまへり〉(浄土論)とのたまへり。〈かくのごとき〉といふは、前後の広略みな実相なるがごときなり。実相を知るをもつてのゆゑに、すなはち三界の衆生の虚妄(こもう)の相を知るなり。衆生の虚妄の相を知れば、すなはち真実の慈悲を生ずるなり。真実の法身を知るは、すなはち真実の帰依を起すなり。慈悲と帰依と巧方便とは、下にあり。

まず天親の『浄土論』があり、それを曇鸞が『論註』で注釈しており、そしてそれを親鸞が『教行信証』の「証巻」に引いているという三重構造になっていますので、いつもこの三者の思惑を忖度しながら読まなければなりません。そこで元の『浄土論』の流れはどうなっているのかをあらためて見ておきましょう。まず「願生偈」で浄土(国土と阿弥陀仏と菩薩たち)のすばらしいありよう(荘厳)を詠い、そして「長行(じょうごう、散文の部分)」でそれを解説するという二部構成になっていますが、「長行」を曇鸞は十章に分けます。それが(1)願偈大意(がんげたいい)、(2)起観生信(きかんしょうしん)、(3)観行体相(かんぎょうたいそう)、(4)浄入願心、(5)善巧摂化、(6)離菩提障、(7)順菩提門、(8)名義摂対(みょうぎせったい)、(9)願事成就、(10)利行満足で、この文は(5)の善巧摂化の最初にあたります。


タグ:親鸞を読む
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