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「『証巻』を読む」その97 ブログトップ

矛盾ということ [「『証巻』を読む」その97]

(4)矛盾ということ

「矛盾」ということばの由来を確認しておきましょう。『韓非子』の一節です、「楚人に盾と矛とを鬻(ひさ)ぐ者有り。之を誉(ほ)めて曰はく、『吾が盾の堅きこと、能く陥(とほ)すなきなり』と。また、その矛を誉めて曰はく、『わが矛の利(と)なること、物において陥さざるなきなり』と。あるひと曰はく、『子の矛を以て、子の盾を陥さばいかん』と。その人応ふること能はざるなり」と。このように「この盾はどんな矛も陥すことができない」という言明と「この矛はどんな盾も陥すことができる」という言明は撞着し共存できません。

しかしそれは一人の商人がこの二つの言明を同時にするから撞着するのであり、もし商人Aが「この盾はどんな矛も陥すことができない」と宣伝し、別の商人Bが「この矛はどんな盾も陥すことができる」と宣伝したらどうでしょう。Aの言明もBの言明も、それぞれに成り立っており、どちらもそれ自体として問題があるわけではありません。もちろん両者は対立しています。Aの言明が正しければBの言明は正しくありませんし、その逆もまた真です。そして、どちらが正しいかは、Aの盾とBの矛とで闘ってみれば決着がつきます。Aの盾がBの矛をはね返したら、Bの言明は正しくないことが判明します(だからと言ってAの言明が正しいことにはなりませんが)。またBの矛がAの盾を陥したら、Aの言明は正しくありません(この場合も同様にBの言明が正しいことにはなりません)。

「わたしは嘘つきです」に戻りますと、ある人が「わたしは嘘つきです」と言い、同時に「わたしは正直です」と言えば、これは紛れもなく矛盾した言明であり、即刻退場を命じられます。しかしその人のなかに「嘘つきのわたし」と「正直なわたし」がいるとしたらどうでしょう。前者は「わたしは嘘つきではない」と言い、後者が「おまえは嘘つきだ」と言うとき、それぞれの言明はそれぞれに成り立っており、それ自体として問題があるわけではありません。しかし両者は対立しますから、そこに軋轢が生じ、もし前者が勝ちをおさめれば、そもそも「わたしは嘘つきです」という言明は生まれませんし、後者が勝利してはじめて、この言明が意味のあるものとなります。


タグ:親鸞を読む
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