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ただ五逆と誹謗正法を除く [「信巻を読む(2)」その134]

(11)ただ五逆と誹謗正法を除く

このように『涅槃経』では難化の三機も弘誓の力により救われることが説かれているのですが、としますと『大経』の第十八願に「ただ五逆と誹謗正法を除く」という文言があるのはどういうわけかという疑問が浮上します。いや、最初に言いましたように、親鸞としてはまずこの疑問があり、それを解くために『涅槃経』から長々と引用してきたと言うべきでしょう。

それ諸大乗によるに、難化の機を説けり。いま『大経』には「唯除五逆誹謗正法(ただ五逆と誹謗正法を除く)」といひ、あるいは「唯除造無間悪業誹謗正法及諸聖人(ただ無間の悪業を造り、正法およびもろもろの聖人を誹謗せんをば除く、無間の業とは無間地獄に堕ちるべき悪業ということで、五逆罪をさす)」とのたまへり(『如来会』)。『観経』には五逆の往生を明かして謗法を説かず。『涅槃経』には難治の機と病とを説けり。これらの真教、いかんが思量せんや(これらの諸経典の違いをどう考えればいいのでしょう)。

ここで『大経(および如来会)』と『観経』、そして『涅槃経』の三経で難化の機についての説き方に違いがあることが指摘されています。それを表にまとめますと、

『大経(および如来会)』-五逆と誹謗正法は往生からのぞかれる。

『観経』-五逆の往生は説かれるが、誹謗正法については説かれていない。

『涅槃経』-難治の三機の往生が説かれる。したがって五逆も誹謗正法も往生できると説く。

となります。

このように難化の三機について経典により説き方に違いがあるのはどうしてかという疑問は親鸞だけのものではありません、古来多くの人たちがこの問題と格闘してきました。最初に問題提起したのは曇鸞で、彼は『大経』と『観経』の違いに注目し、それをどう理解すべきかについて一つの解答を出しています。次に善導がまったく別の新しい解法を提起します。それは次回としましょう。

(第11回 完)


タグ:親鸞を読む
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