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1月19日(水) [矛盾について(その174)]

 ぼくのお気に入りの譬えに幽霊の「うらめしや」があります。幽霊はその姿が見えません。ですからすぐそこにいても誰も気づいてくれません。これは幽霊を不安にさせないでしょうか、「オレはほんとうにいるのだろうか」と。もちろん幽霊自身にとって自分がいることは疑いありません。「オレはほんとうにいるのか」と疑っている限り、そう疑っている自分は間違いなくいます。でも誰からも声をかけてもらえないと、自分の存在があやしくなってきます。だからこそ幽霊はときどき「出る」のです、「うらめしや」と言いながら。そうしますとみんなビックリして「出たあ~」と逃げ惑うでしょう。こうして幽霊は自分の存在を確認していると思うのですが、いかがでしょうか。
 秋葉原の歩行者天国にトラックで突っ込み何人もの人を無差別に殺傷した青年もまた、職場でもネットの世界でも無視されたと思い、自分の存在があやしくなったと感じたのではないでしょうか。そこでみんなを慌てふためかせるようなことをして、その反応によって自分の存在を確認しようとしたのだと思います。そう言えば、神戸のA少年(サカキバラセイト)の犯行声明の中に「存在が透明になる」という印象的なことばが使われていましたが、彼もまた自分の存在が希薄になってきたと感じ、猫の頭を切断したり、ついには人間の子どもの頭を切断するという猟奇的なやり方で自己確認をしていたのだと思うのです。
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