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無量のいのち [『ふりむけば他力』(その5)]

(5)無量のいのち

 これが「わたしのいのち」を生きるということです。「わたしのいのち」を私有して生きるということです。ところがその一方で、上に見てきましたように、その「わたしのいのち」は否応なくすべてのいのちたちとひとつにつながりあっているという身体的事実があります。「わたし」が「わたしのいのち」を生きることは、それがいいとか悪いとかの問題ではなく、もう否応なくそうなっているように(もしそうでないなら、生きることそのものが成り立ちません)、「わたしのいのち」が他のいのちたちと無関係にあるのではなく、すべてのいのちたちとひとつにつながりあっていることも、これまたいいとか悪いとかの問題ではなく、もう否応なくそうなっているのです(それをどれほど頭で否定しようとしても、身体が納得してくれません)。そしてこの二つの「否応なく」は互いに背反する関係にあります。
 「わたしのいのち」を生きるということは、「わたしのいのち」を他のいのちたちの上に置いて特別待遇することに他なりません。そしてそれはおのずから「わたしのいのち」を他のいのちたちから切り離し、他のいのちたちと厳しい対立・競合の関係に入ることとなります。もちろん他のいのちを慈しみはぐくむこともありますが、それはそうすることが「わたしのいのち」を利する限りのことであり、そうではないとなった途端、にべもなく切り捨てて見向きもしません。さてしかしそんな「わたしのいのち」が「わたしのいのち」のままで他のいのちたちとひとつにつながりあっています。これはもうどう否定しようにも否定できない事実としてわれらに迫ってくるのですが、ここにわれらがほんとうに考えなければならない問題があります。「わたしのいのち」を私有して生きるところにわれらの自力(自由・独立)の根拠がありますが、同時に、「わたしのいのち」が他のいのちたちとひとつにつながりあい、「無量のいのち」のなかで生かされているというところに他力の根拠があるのです。
 自力と他力、このふたつはどう絡まりあい、どう関係しあっているのか、これからじっくり考えていきたいと思います。

                (はじめに 完)

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