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五悪趣を超える [「『正信偈』ふたたび」その39]

(9)五悪趣を超える

親鸞は「即横超截五悪趣」から「横超」を一つの熟語として取り出し、これを浄土真宗の本質を表す特別なことば、いわばキャッチコピーとしてさまざまなところでつかいます。先ほどの『尊号真像銘文』の注釈文に「他力と申すなり」とあったのにつづき、「これを横超といふなり。横は竪(しゅ)に対することばなり、超は迂(う、回り道)に対することばなり。竪はたたさま、迂はめぐるとなり。竪と迂とは自力聖道のこころなり、横超はすなはち他力真宗の本意なり」とあります。そして『教行信証』「信巻」ではこう言います、「横超とはすなはち願成就一実円満の真教、真宗これなり。…大願成就の報土には品位階次をいはず、一念須臾(しゅゆ、一瞬)のあひだに、すみやかに疾く無上正真道を超証す、ゆゑに横超といふなり」と。このように浄土真宗(宗派の名ではありません、浄土の真なる教えという意味です、念のため)は「横超」にその本質があると繰り返し述べています。

では何を「よこさまに超える」のかと言いますと、もちろん五悪趣です。さてしかし五悪趣をよこさまに超える、つまり本願力により「品位階次をいはず、一念須臾のあひだに、すみやかに疾く」超えるとはどういうことでしょう。ここで考えておきたいのが輪廻についてです。輪廻とは、三界(欲界・色界・無色界)・六道(天・人・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄)を生まれ変わり死に変わりしてグルグルと経廻ることを言いますから、ここで「五悪趣(六道から阿修羅を除いたもの)を超える」と言われるのは、この輪廻の世界を超絶するという意味ですが、さて輪廻の世界というのは実際に存在するのでしょうか。こんなふうに言いますと怪訝な顔をされるかもしれません、輪廻の世界を超えるというのだから、その世界があるに決まっているではないのかと。

輪廻はもともとバラモン教の思想で、仏教はそれを受け入れたと言われますが、そしてそれはその通りでしょうが、さてそれをどのように受け入れたのかが問題です。結論を先に言ってしまいますと、否定的に受け入れたのです。すなわちわれらは輪廻の世界に生きていると思っていますが(そしてそれに脅かされていますが)、そんな世界は実際には存在しないということです。これが「五悪趣を超える」ということです。


タグ:親鸞を読む
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