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施物(せもつ)だのみ [「『おふみ』を読む」その35]

(10)施物(せもつ)だのみ

ときは文明5年の2月、蓮如が吉崎の地に来てまだ1年半というところですが、どうやら押すな押すなの盛況だった様子です。北陸の2月ですから、文のなかにもありますように、雪が深く積もっていたに違いありませんが、遠方からも人々が詰めかけてくる。これは蓮如にとってうれしいことだったでしょうが、どうも様子がおかしいと感じています。この人たちはどんな思いで吉崎にやってくるのだろうと疑いの眼を向けている。その疑いの正体は、最後のところに出てくる「このうれしさのあまりには、師匠坊主の在所へもあゆみをはこび、こころざしをもいたすべきものなり」の一文で明らかになります。

当時、北陸の地にはびこっていた「施物(せもつ)だのみ」の風潮です。

師匠坊主のもとに施物を運ぶことにより、浄土往生がかなえられるという思い、ここに他力の信心がないことは言うまでもないでしょう。『歎異抄』第18章もこう言っています、「いかにたからものを仏前にもなげ、師匠にもほどこすとも、信心かけなばその詮なし。一紙半銭も仏法のかたにいれずとも、他力にこころをなげて、信心ふかくば、それこそ願の本意にてはさふらはめ」と。「信心の定まるとき往生また定まる」のですから、どんなに施物をつんでも、他力の信心がなければ何にもならない、この「おふみ」はそのことを言っているのです。

しかし蓮如は施物そのものを否定しているのではありません。施物を他力信心の代わりにするのを否定しているのであり、信心あってのうえの施物であれば何の問題もありません。実際、当時も今も坊主というのは、こうした施物に支えられて生計を立てるしかありませんから、施物自体を否定することは彼らの存在そのものの否定につながります。親鸞の手紙を見ますと、ときどき関東各地の弟子たちから「御こころざしのぜに」が送られてきたことへの感謝が述べられていますから、親鸞一家の生計もそうした施物によって支えられていたことがうかがえます。


タグ:親鸞を読む
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