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4月24日(火) [矛盾について(その630)]

 人生を深く肯定するということ。
 年配の方々を前に「こんな煩悩まみれの自分」とどこか自慢げに語っていることにハッとしたと言いました。煩悩を自覚することが自分の手柄であるかのように語るとき、「機の深信」を自分で得たかのように思っています。そして知らず知らずに「法の深信」も自分で得たように思ってしまうのです。「機の深信」を自分で得ることができなければ「法の深信」を得られないとしますと、結局「法の深信」も自分で得ることになるでしょう。
 「法の深信」とは「このまま生きていていい」と人生を肯定することです。そしてこればっかりは自分でするわけにはいきません。人生は誰かに肯定してもらってはじめて深く肯定されるのです。自分で自分に「このまま生きていていい」と肯定しても何の慰めになりません。誰かに「そのまま生きていていい」と肯定してもらってはじめてほんとうの安心(あんじん)を得られるのです。
 「わたしゃあの子に煩悩でならん」の背後に「そのまま生きていていい」の声が響いているのを感じます。
 石牟礼さんはこんなふうに言います、「狩野芳崖が描きました悲母観音の図、神秘的な、東洋の魂のもっとも深い世界を、日本人の宗教意識のもっとも奥のところを描ききった名作だと思いますけれど、わたしが申しますときの煩悩の世界とは、あの絵のような世界を思い浮かべております。わたしどもの命を、無明の中で促しているエネルギーが煩悩だと思うのです」と。

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