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矛盾について(その243) ブログトップ

4月2日(土) [矛盾について(その243)]

 阿満利麿という人は宗教についてこんなふうに言っています、「人は誰でも、普段の考え方ではどうしようもない、手に余る問題を抱えている。その解決に正面から向かう場合には“宗教”というあたらしい“物語”が必要になってくる」(『親鸞』ちくま新書)と。
 普通「物語」というのは、こしらえもの、フィクションということで、そんなものをまともに受け取るわけにはいかないと評価されます。しかし科学だってひとつの「物語」とみなすこともできると考えますと(宇宙はビッグバンによって始まったというのは壮大な「物語」です)、普段は科学という「物語」でものごとを処理していけるが、「手に余る問題」(例えば「死」の問題)に当面したときは、宗教というあたらしい「物語」が必要になると言うこともかなりの説得力をもってきます。
 ここには考えなければならないことが山ほどありますが、さしあたって言えるのは、このように科学もひとつの「物語」で宗教も別の「物語」としますと(宗教もいろいろですから、無数の「物語」たちがあることになります)、悪しき相対主義に陥る危険があるということです。どの「物語」を取るかによって「ぼくはぼく、きみはきみ」と分断されてしまうのです。

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