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8月28日(日) [矛盾について(その390)]

 前に言いましたように「平和のために戦争をする」という倒錯が繰り返されてきた歴史があります。平和を乱す相手の根性を正すためには戦争しかないという論理。それではいつまでたっても戦争から解放されることはないとして作られたのが日本国憲法第9条ではないでしょうか。恒久の平和を願って、もう金輪際戦争をしない、そしてそのために戦力を一切持たないという宣言です。
 これに対して、国際政治の現実を知らない単なる理想論と笑う人たちがいます。
 単なる理想とは、実現不可能な願いということでしょう。恒久の平和なんてかなわぬ願いだと。ここで考えたいのは、かなわないと思っても願わざるをえないことはあるのじゃないかということです。願いを持つ以上、いつかはかなってほしいと思っているに違いありません。絶対不可能だと言うとしても、ひょっとして可能ではないかと思うから願うのです。もし本当に不可能だと思ったら、願うこともありません。
 さて、世界に恒久の平和が訪れてほしいと願うとき、それがいつかかなってほしいと思いますが、たとえかなわないとしても、それでも願わざるをえないのではないでしょうか。ここが問題で、ある人はこう言うでしょう、いや、わたしはそれがかなわないなんて思わない、必ずかなうと思うから願うのだ、と。また、別の人はこう言うでしょう、それがかなわないと思ったら、願い続けるのはナンセンスだ、と。
 恒久の平和という願いはいつか必ずかなう、と言うのと、恒久の平和などというかなわない願いを持つこと自体がナンセンス、と言うのと。前者は理想主義で、後者は現実主義と呼ばれるのでしょうが、そのはざまで、恒久の平和という願いがたとえかなわないとしても、それでも願い続ける、いや、願い続けざるをえない、という立場があるのではないでしょうか。

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