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第7回、本文2 [「『証巻』を読む」その68]

(5)第7回、本文2

浄土の荘厳のすべては法蔵菩薩の清浄な願心を因とすることが述べられた後、次の文がきます。

〈略して入一法句(にゅういっぽっく)を説くがゆゑに〉(浄土論)とのたまへり。上の国土の荘厳十七句と、如来の荘厳八句と、菩薩の荘厳四句とを広とす。入一法句は略とす。なんがゆゑぞ広略相入(こうりゃくそうにゅう)()(げん)するとならば、諸仏・菩薩に二種の(ほっ)(しん)あり。一つには法性法(ほっしょうほっ)(しん)、二つには方便法身なり。法性法身によりて方便法身を生ず。方便法身によりて法性法身を出す。この二の法身は、異にして分つべからず、一にして同じかるべからず。このゆゑに広略相入して、()ぬるに法の名をもつてす。菩薩、もし広略相入を知らざれば、すなはち自利利他するにあたはず。

「略して入一法句を説くがゆゑに」という『浄土論』のことばは謎めいていますが、曇鸞はこれを、二十九種の浄土の荘厳(国土・如来・菩薩の素晴らしいありよう)も、一つの法句におさまると注釈します。法句とはダンマ・パダの漢訳で、すなわち「真理のことば」を意味し、浄土のさまざまな荘厳も、たったひとつの真理のことばに約めることができるということだというのです。その一つの法句とは何かと言いますと、このすぐ後に「一法句とは、いはく清浄句なり」という『浄土論』のことばがありますから、二十九句の第一句、「かの世界の相を観ずるに、三界(欲界・色界・無色界の迷いの世界)の道に勝過せり」を指すことが分かります(天親はこれを荘厳清浄功徳とよんでいます)。

この句の意味は、かの浄土(国土・如来・菩薩)は法蔵菩薩の清浄な願心から生まれたのであるから、因が清浄であるがゆえに果としての浄土も清浄であり、濁りはてた三界のありようを超絶しているということですが、この一句に浄土荘厳全二十九句のすべてがおさまるということで、前の文(本文1)で述べられたことを再度確認しているわけです。さて曇鸞はこの清浄句と浄土荘厳全二十九句の「広略相入」の関係を仏・菩薩の法性法身と方便法身の関係に置き換えて注釈しています。これもすぐ後に「清浄句とは、いはく真実の智慧無為法身なるがゆゑに」ということばがあることによります。曇鸞はこの「智慧無為法身」を法性法身と理解するのです。


タグ:親鸞を読む
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