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今生に、いかにちほし不便とおもふとも [『歎異抄』ふたたび(その51)]

(8)今生に、いかにいとほし不便とおもふとも

 ここでいま一度確認しておきたいのは、「人を教えて信ぜしむ」とするのは紛うことなく「わたし」ですが、しかし実際に「信ぜしむ」ことができるのは如来の本願力であるということです。ここから「存知のごとくたすけがたければ」ということばが出てきます。自分としてはどれほど「信ぜしめよう」としても、自分の力で相手を「信ぜしむ」のではありませんから、「存知のごとくたすけがた」いということになります。また親鸞その人の身の上から具体的に考えてみたいと思います。息子・善鸞のことです。
 関東の念仏者たちの間で造悪無碍などの問題が生じたとき、親鸞は息子の善鸞を自分の名代として関東に下らせました。とうぜん信頼していたからに違いありませんが、その善鸞が関東の念仏衆に思いもかけないことを言い出したのでした、「あなた方が日ごろ信じていることは父・親鸞の教えから外れています。わたしは父から秘密の教えを受けていますが、第18願はしぼんだ花のようなものです」などと。善鸞はおそらく多念義に偏する教えを説いたのではないかと思われますが、これにより関東は大混乱に陥ります。事の次第が判明して、親鸞はついに善鸞を義絶するという結末に至ります。時に親鸞は84歳、善鸞は40代であったと思われます。
 この出来事は年老いた親鸞に言いしれない悲しみを与えたに違いありません。わが息子ひとりをも教化できなかっただけでなく、父親を裏切るような行動をさせてしまったことに対してやり切れない思いを抱いたのではないでしょうか。さらには、これまで信頼していた人たちが、善鸞のそらごとを見抜くこともできず、「慈信坊(善鸞です)が申すことによりて、ひとびとの日ごろの信のたぢろきあうておはしまし候ふ」ことにも深い失望を感じたことに違いありません。これまで自分がしてきたことは何だったのかと天を仰ぎたくなったことでしょう。
 ここから「今生に、いかにいとほし不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ」という思いが生まれてきます。

タグ:親鸞を読む
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